映画「セデック・バレ」の舞台・日本時代後期、最大規模の抗日暴動事件のあった「霧社」へ

ユウキ
こんにちは!カワタ ユウキ(@you_kI94)です。

台湾一周2日目!今回はこの旅の目的でもある霧社に来ました。

悲しい事件が合ったとは思えないほど、現在は自然豊かで静かな町でした。

前回の記事:

日本人経営の「ゲストハウス・プリ」を拠点に台湾の中心「埔里」を観光

2014.08.25

この記事の霧社の情報は「地球の歩き方」に載っている情報を元に書いています。

日本時代後期、最大規模の抗日暴動事件のあった「霧社」へ

映画「セデック・バレ」で描かれている霧社事件とは

さて、「霧社事件」とは何だったのでしょうか。ウィキペディアに詳しく書かれています。

霧社事件|ウィキペディア

様々な理由が複雑に絡み合ってはいるようですが、原住民(セデック族)と当時霧社を管轄していた日本の警察官とのいざこざが発端のよう。それも、普段から警察官への不満が溜まっていたようです。

もし、この記事を読んで「霧社事件」に興味をもたれた方が居ましたら、是非「セデック・バレ」という映画を観てみて下さい。

私が台湾の日本時代の歴史を意識するきっかけになった映画です。

この映画は素晴らしいと思いました。

この映画がどこまでノンフィクションなのかは解らないのですが、台湾人が制作した映画にもかかわらず、よくある「抗日ドラマ」とは違い、日本人でも良い人も悪い人も描かれています。

この映画で描かれていたように原住民との人間関係を上手く築いていた日本人もいたのかもしれません。

今はとても自然豊かな小さな町ですが、

ユウキ
霧社事件という凄惨な暴動があったこの場所の人たちは、今、日本人の事をどう思っているんだろう

と考えると、複雑な気持ちでした。

「埔里」からバスで「霧社」へ

ゲストハウス・プリのオーナーさんにお願いして、チェックアウトはしつつ、荷物は「霧社」へ行っている間は置いておいてもらう事にしました。

さっそくゲストハウスを出発。

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朝の「埔里」は活気があって良い感じです。

南投客運のバス停に到着。

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さっそく切符を購入します。

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「埔里」→「霧社」は片道89元(約308円)

バスが来ました。小さなマイクロバスです。

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さっそく「霧社」に向かって出発!!

なにやらすごい景色が広がる山道をひたすら突き進みます。

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台湾の山は日本の山よりも切り立っているように感じるのですが、気のせいでしょうか。

(上の写真では表現できていないですが…)

とても綺麗な自然に囲まれた小さな町「霧社」

ようやく到着。大体「埔里」から1時間くらいの場所でした。

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ユウキ
こんな山の中に町があるのか!
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本当に切り立った山の中をバスで1時間ぐらい来た所なので、なかなか信じがたいです。

昔ここに日本人が住んでいたのか…と考えると不思議な感じ。

山の中にも関わらずセブンイレブンとファミリーマートがありました。

二つ近い場所に並んでるって…こんな所でまで競合してるのね…。

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一本路地を入り、町の裏側に周ると本当に信じられないくらいの絶景があります。

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この大自然の山々で原住民の人たちは狩りをしたりしながら生きていたのでしょう。

日本統治時代の神社跡「徳龍宮」

さて、さっそくバス停から歩いてみます。

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「山の郷小館」の文字。

そういえば、台湾はよく日本語を見かけますが、特にひらがなの「の」を使っているのをよく見ます。

使いやすいのかな。

これも日本時代の名残でしょうか。

この看板の矢印の方向へ歩いて行くと…

赤い鳥居がありました。

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鳥居の向こう側には階段が。

「徳龍宮」という所です。

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この鳥居を見る限り「神社があるのかな?」と思ったのですが、よくよく見てみると日本とは鳥居の形が少し違います。

階段を登ってみると日本の神社とはまた違った風景がそこにはありました。

立派な建築です。

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ここは、かつて日本の統治時代の神社の跡地だそうです。

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さて、話は「徳龍宮」に戻ります。

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この鳥居の先にある階段は、日本軍が原住民の蜂起部隊を鎮圧した際、その原住民の首を並べた所と言われています。(google画像検索をすると、首を並べた画像なんかがわんさか出て来ます…)

本当に惨い…「殺されたから殺す」「殺したから殺される」という負の連鎖が起きていたとはいえ、本当に悲しいです。

しかし、それがほんの今から約85年前、1930年の出来事です。そんなに遠い過去ではありません。

この「徳龍宮」のある高台から町を見下ろすと、ここでそんな事件があったなんて事を思わせないようなとても良い眺めが広がっています。

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「碧湖」という湖が見えます。町の至る所に生える松の木が印象的です。

「霧社公学校」と「霧社山胞日起義記念碑」

町を下って行くと今度は「仁愛小学校」がありました。

前身は「霧社公学校」だと思います。

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実際の当時の「霧社公学校」の跡地は、さらに町を下って行った所にあり、現在は電力会社になっています。

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町の入り口の…

すぐ向かい側が電力会社です。

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当時、原住民の蜂起部隊の人たちはこの小学校の運動会を襲撃し、そこにいた、たくさんの日本人を殺しました。

(この記事の上に載せている映画「セデック・バレ」の予告にもその様子が描かれています)

その後、この蜂起部隊を日本人は武力にて徹底的に制圧します。それが悲しいこの事件の始まりです。

現在の「仁愛小学校」の入り口の向かいには白い鳥居があります。

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中に入ってみると、日本人に対して抗う原住民を形作った「霧社原住民抗日の像」がありました。

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戦後、土木工事中に針金で手首を縛られた遺骨が見つかったらしく、霧社事件の際の行方不明者なのではという事でここに納められているそうです…。

そして、その先には事件の、セデック族マホべ社のリーダーである「モーナ・ルダオ」が立っています。

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モーナ・ルダオ|ウィキペディア

モーナ・ルダオは原住民「セデック族」のマヘボ社の頭目で、当時のセデック族の中では高く評価されていた人物のようです。

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映画の中でも「セデック族」の誇りとも言える、立派な人物として描かれています。

モーナ・ルダオの像の向こうには「霧社山胞日起義記念碑」があります。

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そして、その後ろにはモーナ・ルダオの立派なお墓がありました。

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今は跡形もない「日本人の墓」

町をさらに下って行くと「仁愛卿清潔隊」の建物があり、その建物のすぐ右側に階段があります。

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ここには日本人の墓の跡地がありました。

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戦後は長い間参拝が禁止されていたそうです。

今はお墓があったという事は解らない状態です。

(草が生い茂ってあまり手をつけられていない感じがしました)

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そこにはコンクリートでできたテーブルと椅子がありました。

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「霧社」を訪れて感じた事

ここに当時、たくさんの日本人が住んでいた事。

そして、悲しくも原住民と対立し、たくさんの人が亡くなった事。

何も知らずに今の「霧社」を訪れると、到底そんな事は想像もつかないような平和な町なのですが、この町にはその歴史が至る所に刻まれていました。

1930年、私の祖父も第二次世界大戦で戦っていました(戦争の事は一切話してくれなかったですが、私の祖父は当時満州に居ました)。

そんなに遠い過去ではない事、台湾と日本との間にはこういう歴史もあるんだという事を知っていると、また台湾が違った見え方がすると感じました。

まだまだ、私も勉強しないといけないし、したいと思いました。

バスを使って次の目的地「清境農場」へ

待ち時間に霧社で小腹を満たす

さて、一通り「霧社」を歩いたので、次は「台湾のスイス」と称される「清境農場」へバスで移動する事にしました。

前日にゲストハウス・プリのオーナーの方が「この辺で一番人気」と教えて下さっていて、気になっていました。

ところが、バス停で立って待っていたにも関わらず、バスにスルーされてしまうという衝撃的事件が発生し、「清境農場」行きの次のバスが来る1時間後までまた「霧社」で時間をつぶす事にしました。

町には至る所に食べ物屋さんが並んでいます。

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ちょうど昼時だったので、その中の一つに入ってご飯を食べる事に。

「小籠包」が40元(約138円)と、「貢丸蛋花湯」25元(約86円)、安い!

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「貢丸蛋花湯」は名前だけ観ると得体の知れない食べ物な感じがしますが、肉団子が入っているスープでした。

パクチーが効いていて、美味しい。

小籠包は…空腹だったから美味しく感じられましたが、やはり有名所とくらべると味は負けてしまいますね。

と、言う事で。やっとバスが来て無事乗る事ができました。
「霧社」から「清境農場」まで127元(約440円)、約30分の道のりです。

続きはまた次回。

続きの投稿:

「埔里」からバスで「霧社」を経由して、台湾のスイス「清境農場」へ

2014.08.28

2014年台湾旅行記・夏のぐるり台湾一周旅行・目次

1日目|日本人経営の「ゲストハウス・プリ」を拠点に台湾の中心「埔里」を観光

2日目1|映画「セデック・バレ」の舞台・日本時代後期、最大規模の抗日暴動事件のあった「霧社」へ ←今ココ

2日目2|「埔里」からバスで「霧社」を経由して、台湾のスイス「清境農場」へ
3日目1|高雄から廟や歴史的建造物が街中にたくさんある台湾の京都「台南」へ
3日目2|台南で林百貨など日本時代の建築物を巡ったら、安平豆花で一休み
4日目1|高雄から海沿いの素晴らしい景色の路線を電車で「台東」へ移動
4日目2|台東駅から市内へバスで移動、どこか懐かしい雰囲気の「金安旅社」へ宿泊
4日目3|台東で文化公園・鯉魚山公園など、自然と日本家屋が多く残る街を歩く
5日目1|台東市内から台東駅へバスでの移動の仕方、そして初の「花蓮」へ
5日目2|花蓮の駅から市街地へバスで移動、日本語ペラペラのおばちゃんが営む「金龍大旅社」に宿泊
5日目3|レトロでオシャレなお店に海沿いのサイクリングロードが素晴らしい「花蓮」の街

番外編|ゲストハウス「あひる家」で出会った旅の仲間と朝食を食べに「興隆居」へ
番外編|台東へ行ったら立ち寄りたい!日本家屋を利用した隠れスポット「寶町藝文中心」

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